ただ主の恵みによる

修了生の証 ✤2026年3月6日(金)に神学校において、第68回修了式がもたれました。修了生を1名送り出しました。 ただ主の恵みによる 修了生 安藤のゆり(ワーカーズ・船橋BBC) 主なる神の恵みによって神学校を修了させていただきました。多くのお祈りと励ましを心より感謝いたします。私という小さな一人に与えられた、2年間の主の御手を振り返るだけで、感動せずにはいられません。神がともにおられ、生きて働き、私を取り扱ってくださいました。 「のゆり」という名前はマタイ6:28から、野のゆりが全く養ってくださる神の御手によって育つことを覚え名付けられました。神学校での学びと訓練を通して、日々自分の罪が示され、無に等しい者であることを教えられました。また、自分の力でできることは何もなく、すべては神が成させてくださることを何度も教えられ続けました。それにより、神の御手がなければ生きることも、何をすることもできない私と、神がともに歩んでくださるという恵みを新たに教えられました。 学びを通して、主なる神のみで完全であり、神と比べられるものは何もないにも関わらず、罪人を主の働きに用いられるという、あまりに不思議なご計画が日々心に留まりました。次々に与えられる試練を通して自身の罪が照らされ、「私で良いのでしょうか…」と祈るばかりでした。召しの確信をみことばから確認する度に、救いも献身も召しも、ただ主の恵みによることを教えられ続けました。 神がお造りになった美しい自然の中で、神学生の兄弟姉妹と寮生活をともにしながら学びと訓練をいただけたことも感謝しています。それぞれの違いを通して、一人ひとりに神さまのご計画があることを教えられました。比較してしまい、あの方のようにできないと考えてしまっていたとき、「キリストのからだの一部であることを考え、その上で自分が今するべきことを考える」ことを教えられました。あの方ができることが私にはできない、と考える必要はなく、また、私がやりたいことをするのでもなく、神さまが私に与えて下さったものをさせていただくということを教えられました。罪を示され続ける中で、神の愛や御救いを受けた恵みが語られ続け、神の愛も御救いの恵みも、みことばも、知り尽くせないということを知りました。他者と比較したり自分を責めやすかった私ですが、神を知れば知るほど、自分が神に愛されていることを教えていただけたことも大きな恵みです。 昨年末、今後の歩みのために祈り求める中で、一つのみことばが心に留まりました。(使徒27:26)私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。「私たちは必ず打ち上げられます。」と確信をもっていながら、どこかの島とパウロは言っています。またこのことばをパウロが言ったとき、パウロと同じ船に乗っていた人々はパウロのことばを信じず、信用しませんでした。そのような困難な中でパウロは「元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。」と告白しました。 神さまのご計画は私の思いや理解をこえています。以前、横浜から船橋に導かれたように、神さまの不思議で、最善なご計画があります。どこに・いつ・どのようになど、この先のことは私にもわからないのですが、今与えられている導きに応え、お仕えさせていただきたいと思っております。そして、必ず最善に導かれる神に信頼して歩んでいきたいと思っております。