秋期講座の概要と証し
世界宣教としての海外宣教
井口 拓志(立川BBC牧師)
宣教の定義
「宣教とは、あらゆる国の人々のところへ行き、福音を宣べ伝えること或いは人々をイエスの弟子とすること。」
これはイエスの権威により派遣されることによって可能となる。また、宣教には伝道的要素と教育的要素がある(マタイ28:18−20、マルコ16:15、ヨハネ20:21)。
宣教の目的
宣教の最終目的は、神がご自身の国を造ることにある。それはイエスの宣教開始の宣言(マタイ4:17)や主の祈り(マタイ6:9−10)、最終的な預言である「新しい天と新しい地」(黙示録21:1)から明らかである。
神の計画全体から見る宣教
神がご自身の国を造ることは、神の計画全体から理解する必要がある。パウロは「神のご計画のすべて」と言っている。その計画のゴールは、御国を神の民が相続するときである(使徒20:27、32と黙示録21:1−2)。神の計画は、人が罪を犯して、エデンを追放されたときから始まっている。国を成り立たせるためには、王と(1テモテ1:17)国土と国民が揃わなければならない。特に、罪を犯した人はサタンの支配下(この世)に入ってしまったので、神は彼らを救済して、サタンの支配から奪還しなければならない。神に対する故意の反抗にもかかわらず、神は一方的な愛をもって人をお救いになる。ただ、神にとって人の救いはゴールではなく、救った人を神の国に入れさせ、御国そのものを相続させることにある(使徒20:32)。そのような神の計画の手段が宣教である。神の計画全体は、「聖書全体」(ルカ24:27)であり、神のご意志全体である。聖書全体から神のご意志に基づいた宣教を行うなら、神の計画に従って必ず前進する。
定義の再確認
宣教は福音を宣べ伝えること。その「宣べ伝える」とはどういうことか?聖書は、
(1)「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます」(マタイ24:14)という。別の箇所では、
(2)「異邦人の満ちる時…」(ローマ11:25)という。終わりの時に神が救われるべき異邦人の数を揃えるという。
*私たちが行う宣教は、神の救うべき異邦人が満ちるために、あらゆる国の人々に福音を宣べ伝える。救われるかどうかは、数を揃える神の責任である。そうなると、次のパウロのことばが理解できる。
(3)「・・・見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられている…そのことを喜んでいる」(ピリピ1:17−18)パウロを苦しめるための不純な動機の宣教を、パウロが受け入れることができるのは、神の計画全体を承知しているからである(使徒20:27)宣教の目的は、教会を豊かに成長させるためではない。キリストを宣べ伝えるためである。初代教会の使徒たちがユダヤ指導者たちに捕えられたとき、敵方が彼らを責め立てたことばに、宣教理解のヒントがある。それが、
(4)「・・・何ということだ。おまえたちはエルサレム中に自分たちの教えを広めてしまった」口語訳は「氾濫させてしまった」である。元の意味は「満たす、溢れる」宣教は広めることであり、福音を溢れさせることである。そのための教会の成長である。
宣教は霊的戦いである。御国を造る神に激しく背く力が常に働いている。悪魔である。しかし、神は霊的戦いに終止符を打つ。地上における神の国の期間(千年王国)を終えた後、イエスにより死と悪魔が滅ぼされる(黙示録20:10、14)。救われた者は、この戦いとしての宣教に参与しているのである。しかし、私たちは弱い。何人かでも救いたいという熱意だけでは挫折する。そうならないためにも、宣教の目的と動機を確かにし、持続可能な戦い方をする。