先輩からの一言

私たちの神学校と学び

丸山 しづ子(習志野BC)


「先輩からの一言」への寄稿依頼が、とびこんできました。一期生で女性伝道師は4人生存していますが、一番若い私に大変な荷が迷いこんできたということです。後輩への励ましの言葉は他の方に委ねて、神学校開校当時のことをお伝えしたいとペンを取りました。

1954年4月開校というのに、校舎も教室もありませんでした。「これから主イエス様にお仕えするために勉強ができるのだ。」と喜んで千葉へ来たのに、寮もなく、台所もない学校でした。宣教師たちは旧幕張聖書バプテスト教会の礼拝堂に至る半地下道に天幕集会用のテントを張り、道路側を台所に、もう一方側を男子寮に仕切りました。女性のためには物置場であった3階2カ所を人が住めるように整頓し、女子寮として使うことになりました。お風呂はもちろんありません。JR幕張駅の「開かずの踏切」を渡って、旧14号線沿いのお風呂屋まで、20分から30分かけて歩いて行きました。全てが、これから伝道者として仕えていくために必要な訓練でした。教室は幕張教会の礼拝堂と宣教師宅のベランダでした。私たちは聖書を抱えて教室に行きました。最初、聖書しか持っていませんでした。

「聖書は聖書で学べ。」と教えられました。その理由は、この学校は「日本バイブル・バプテスト教会」の神学校だからです。わかったようで、わからないような、それでいて納得して・・・。アッ、教科書は?というと、「聖書です。」

神学校の先生方は、日本語をよく話せない宣教師たちでした。まだ日本語で教えられるほど語学力がありませんでした。アメリカの神学校で学んできた教科書を、通訳者、翻訳者、英語のできる神学生が翻訳しあったものを大急ぎで和文タイプで打ち、謄写印刷機で印刷して勉強したのです。しばらくして福音派と言われていた教派からバプテスト派に立場を変えられた牧師たちが加わって、教えてくださいました。

その頃、私たちが唯一、手にした参考資料はヘンリー・ハーレイ著の『聖書ハンドブック』でした。授業と言っても、宣教師が開拓伝道を始めるというと、静岡であれ、群馬であれ、皆で宣教師の車に乗って行き(当時は高速道路なんてありませんから何時間も車に揺られ、舗装道路もないので、ホコリで真っ黒になり)、到着するや否や、集会案内のポスター、チラシなどを手作業で作り、ポスター張り、戸別訪問をしてチラシを配り、夜には集会ができるように準備をし、「それ集会!」でした。初来会者への個人伝道も、自分たちが救われた証と、暗誦した聖句を使って主イエス・キリストを信じる必要性を話しました。

月曜日は奉仕先から神学校へもどり、火曜からの勉強の準備、宿題の仕上げ―宣教師は暗誦聖句を出すのが得意で、それぞれの先生が暗誦聖句を宿題として出されるので、多い時は100ケ所以上を覚えて書き出す、といった状態でした。このような神学校の生活は、大変でしたが、開拓伝道や教会成長のために急務でした。3年で1期生が卒業すると、出身教会から招聘され伝道者になったり、全くゼロからの開拓伝道におもむきながら神学校で教える働きにたずさわったりしました。少しずつ神学校の備品、参考書などが整えられていきました。

神様は私のたましいに必要な、そして、他の人に宣べ伝えるために必要な聖書をお与えくださいました。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です」(2テモテ3:16)。そして、神様と共に働く者として、神様のしもべとして仕えさせていただいております(2コリント6:1~10)。このような者を選び、召し、お使いくださる唯一の、創造主なる神様に感謝しております。