May 1, 2025

news96, past-news

行事予定

行事予定 3月31日(月)・第71回入学式 4月22日(火)〜 5月2日(金)・ オープンキャンパス (授業見学可) 5月20日(火)〜 25(日)・伝道実習 (若葉BBCにて) 7月11日(金)・第67回卒業式(小諸市市民交流センターにて)

news96, past-news

編集後記

編集後記 編集者 三谷 浩司 初の4月入学生の修了式、ジュニアキャンプを挟んで、その10日後には入学式と過去に神学校が経験したことのないような慌ただしさの中で、神学校長も斎藤先生から加治佐先生にバトンタッチされました。今年も主が恵みの春風を送ってくださり、フレッシュな新入生と新校長を迎えることができたことを感謝すると共に、さらなるフェローシップ諸教会の熱い祈りと支援の必要を覚えさせられています。

news96, past-news

神学生紹介

神学生紹介 池側いけがわ 真紀まき 4年(9月入学) 出身・茨木BBC 奉仕・稲毛BBC 渡邊わたなべ 剛志つよし 3年(9月入学) 出身・船橋BBC 奉仕・船橋BBC 岡戸おかど 恵里也えりや 3年 出身・船橋BBC 奉仕・船橋BBC 三浦みうら 基宣もとのぶ 3年 出身・高槻BBC 奉仕・高槻BBC 中村なかむら みどり 2年 出身・熊谷BBC […]

news96, past-news

少しでも役に立つ奉仕をしたい

新任教師自己紹介 みことばの豊かさを正しく汲む手がかりを 中川 克巳かつみ 足利BBC牧師 担当科目・キリスト教福祉概論 この度、新任教師としてお仕えさせて頂くこととなりました。 正直教会の働きにおいてもまだまだ未熟ですし、私自身がまだまだ教えられなければならない者であることを痛感しております。そのような私が教師としてのお話を受けさせて頂いたのは、私自身が現場に出てから学びの大切さ、足らなさを痛感したからです。 私自身は、宣教師の教会で教理的説教を聞いて信仰の成長に導かれた経験もあり、教理についてはよく知っていたつもりでした。神学校でもその知識に補強するような意識で学んでおり、あとは実践が重要だと思っておりました。ところが現場に出てわかったのは、自分の聖書理解があまりにも辞書的、あるいは自分の経験に偏ったものであって、聖書本来のメッセージを理解するものではなかったということです。そのために自分とは異なる背景を持つ方、異なる強さ弱さを持つ方に対して、適切に御言葉をお伝えできない。自分自身が理解していない。そのような自分に気づかされて愕然としました。様々な背景を持つ方に、様々な切り口か御言葉を説き明かすには、聖書の背景や文脈をよく知っていなければなできない。そのことに気づかされました。文脈や文化背景の重要性は、神学校で充分教えて頂いていたのですが、自分の視点が狭く、高慢であったために正しく受け止められていなかったのだと思います。 そこで自分が語りたいメッセージではなく、聖書が本来持っているメッセージは何だろうか。そのような当たり前の事、またご指導を頂いた先生方にも散々教えて頂いていたことを、改めて学び直し、取り組む毎日でした。その積み重ねをしていく内に、聖書がどの時代のどの文化の中にいる、どのような背景の人たちにも必要なメッセージを持っていることが少しずつ、改めてわかってきたように思います。その経験が足利教会に導かれてから本当に支えになりました。その地域、その教会独自の良さや問題もありますが、その中でどのように御言葉を受け止めて行くべきか。まだまだ不充分ではありますが、その視点の大切さを実感しております。 そのような中で、神学校教師のお話も頂きました。まだまだ、自分自身が学んで行かなければなりませんし、実践していかなければなりません。けれども自分自身が教えられたことが少しでも今後の献身者の役に立つことができたら、主のお役に立てるのではないか。そのような思いが与えられました。学生たちに教えるよりも、まず自分自身が学び直し、整理しなければならないと願っております。その中でますます、神への恐れを失い、健全な教えが伝わりにくくなるように見えるこの時代にあって、献身者が少しでも健全な教えに立ち、御言葉に支えられ、強められて働くことができるように、少しでも役に立つ奉仕が出来たらと願っております。是非、教師としての成長のため、また足利教会のためにもお祈りください。

news96, past-news

20年目の再入学

新任教師自己紹介 20年目の再入学 浜田 献けん 清水BBC牧師 担当科目・組織神学1、キリスト教概説 自らの乏しさを痛感しつつも、「大牧者なる主が一切の必要を満たしてくださる」という恵みに身を委ねるように促されて、神学校の門を叩き、今年でちょうど20年になりました。この節目の年に、もう一度神学校に入学する思いで、教師としての働きを担わせていただけることを主に感謝しています。 神学校を卒業してから、伝道と牧会の現場で過ごしてきた日々は、かつて教えていただいた通り、常に主が傍におられ、御栄えを現してくださる幸いを感謝する日々でした。一方、御前に静まって神学に取り組むことができていないという課題を常に痛感させられてきました。この度、神学校において担当する科目をいただき、いま一度、御前に静まって学ぶ機会を主が用意してくださったのではないか、という思いの中にいます。 『天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。高価な真珠を一つ見つけた商人は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います』(マタイ) 備えられた機会に臨む中で、すべてにまさって価値のある「福音の豊かさ」や「信仰に生きる喜び」に思いを向けていくことができればと願っています。学生時代にも印象深く、思い出深い授業であった「キリスト教概説」と「組織神学1」を担当させていただけることも感謝なことです。 「キリスト教概説」は、キリスト教信仰の精髄である教理や周辺課題に目を向けつつ、キリスト者としての世界観を構築し、神の視点(聖書の視点)で物事を捉え、生き、証しすることを考えるクラスです。「組織神学1」では、「啓示論」や「神論」に取り組みます。神とその言葉を学ぶことが、キリスト者としての生き方や祈りを形づくり、宣教に広がりと深みを与え、主の教会を建てあげていくことに繋がっていく、その期待と求めをもって、主が神学校に送ってくださる兄姉と学びに臨むことができたらと願っています。 現在、私は家庭においても「信仰の継承」という使命と向き合わされています。 限られた時間の中で、限りなき主の愛と真実を分かち合うということは、幸いなチャレンジであり、素晴らしい恵みの経験であると認識しています。私自身も学びつつの取り組みですが、主が上よりの力で支えてくださり、学生の皆様とご一緒に、主とその計画に目を向けていくことができるように、また主の視点で目の前の課題を考えることができるように、お祈りに覚えていただけますと幸甚に存じます。 「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています」コロサイ人への手紙2章3節

news96

何人かでも救うために

新入生の証 何人かでも救うために 入学生 奥村 夏葉なつは ワーカーズ2年課程・清水BBC このように、神様のお導きと皆様の祈りに支えられ、神学校への入学が許されたことを心から神様に感謝いたします。今回は、私の救いと献身について証させていただきます。 私は、クリスチャンホームに生まれ、幼い頃から聖書の話に親しみ、日曜日に教会へ行くことは当たり前の生活を送っていました。イエス様の十字架や復活についても信じていましたが、自分の罪については意識が低く、自分の罪についてはっきりと示されたのは、高校1年生の春でした。ルカ15:4−7より、羊の姿から罪人の姿を示され、救いへと導いてくださる神様が必要であるということと、神様は罪の世界で彷徨う私を探して救うために、イエス様をこの世界へ送ってくださり、イエス様を通して救いを用意してくださったことを、これまで以上に自分のこととして理解しました。また、ヨハネ15:5の御言葉より、イエス様にとどまり続けることを教えられた私は、自分の弱さや罪ある姿をよりはっきりと自覚し、神様はそんな私の全生涯を導き、愛してくださるという恵みを知る中で、信仰の確信へと導かれ、バプテスマを受ける恵みに与りました。 それからも、日曜学校や礼拝で聖書のメッセージをいただき、私が最初に献身の思いへと導かれたのは大学3年生の年でした。特に時間において自分の思いを第一に過ごしていた私に、神様はマタイ6:33の御言葉を通して罪を示し、悔い改める機会をくださり、今まで自分のために使っていた時間を、日々の生活の中での祈りやデボーションに使い、参加できる教会の行事には全て参加し、神様との時間を第一とする生き方へ導いてくださいました。 また、神様は、私自身に与えられている賜物が分からず、すぐに他人と比較して、自分には差し出せるものが何もないと思ってしまっていた私の気持ちを「秀でるものは何も持っていないけれど、せめて私の全てを用いてください」という心へ変えてくださり、献身の思いを与えてくださいました。 献身の思いを持ちながら、看護学生時代には働き方を考える中でマルコ2:17より、訪問看護師としての道が示されたり、社会人になってからはイザヤ55:5、12ー13より、今与えられている環境の中で、神様の力をいただいて、積極的に神様を喜んで証するように導かれていきました。神様からの導きを日々祈る中で、2024年6月の祈祷会で開かれた1コリント9:22のパウロの姿を通して、主のためなら、何人かでも救うためなら何にでもなりたいという思いが与えられ、デボーションの中で与えられた2テモテ4:2、5より、福音宣教のために私の生涯をお捧げする決心へと導かれました。 これからの神学校での学びと訓練を通して、主の栄光を現す通り良き管となれますよう、お祈りに覚えていただけますと幸いです。

news96

愛する主に心から感謝して

修了生の証 愛する主に心から感謝して 修了生 金原 史佳ふみか ワーカーズ2年課程・清水BBC 主のすばらしい御名を心から賛美いたします。入学式の翌朝、カーテンを開けてびっくりしました。燃えてしまうのではないかと思うくらい真っ赤な朝焼けが辺りを照らしていて、この世界を造られた神様を恐れました。翌日、齋藤先生から「『みことばが与えられた』と言うのはどう思いますか?すでに聖書六十六巻は与えられています。」と教えていただき、はっとしました。朝焼けもそうですが、私はこれまでどれだけ神様のくださる恵みを見逃し、みことばを聞き逃してきたのだろうと思いました。この二年間は、神様のくださる驚くばかりの恵みに気付かされ、朽ちることのないみことばに目が開かれ、心探られ、励まされ、力をいただき、生きて働かれる神様を知る本当に幸いな期間でした。言い尽くせない主への感謝を覚えつつ、ここでは特に三つのことを主に感謝し、お証とさせていただきます。 「主がお入用なのです。」(ルカ19:31) まず、変わることのない主の召しに感謝いたします。大学生の時、小さな子ろばを用いると言ってくださる主に、看護師として、伝道者として、お仕えしていきたいと導かれました。それから神様は、看護師として四年間の経験をくださり、神学校で二年間の学びと訓練を与えてくださいました。この二年間、自分の弱さをこれでもかと示される中で、このような小さな私を主が用いてくださるということが大きな励ましでした。そして、四月から教会スタッフと地域の看護師としての働きが始まりました。今日も主が私を用いてくださるということが力となっています。ここまでの主のお導きを感謝いたします。 「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」(詩篇23:1) 次に、私は弱い羊ですが、主が私の羊飼いであることを感謝いたします。入学前、修了後は神の武具をたくさん身につけて強く雄々しく働きに出るのを想像していました。そのような側面もありましたが、どちらかと言えば、剣を奪われ、鎧をはぎ取られ、弱さが突きつけられました。私は神様の前にどうしようもない罪人なのだと何度も示され、その度に、このような私のためにいのちを投げ出してくださったイエス様の十字架の愛に深く感謝し、悔い改めへと導かれました。自分の弱さを知るとき、主だけが輝いていました。今日も大牧者であられる主が私とともにいてくださることを感謝いたします。 「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」(ガラテヤ2:20) そして、私のうちにキリストがおられることを感謝いたします。ギリシャ語の課題に取り組んでいる時、「キリストが私『のうちに』生きておられる」が、前置詞『εν』であると気が付きました。キリストが私のど真ん中におられる、キリストと一つにされている、だからもはや私が生きているのではない、私の人生を歩まなくていいのだと分かり、胸が熱くなりました。キリストとともに十字架につけられ、自分にはキリストのいのち以外は何も残っていないという栄光の特権にあずかっていることを感謝いたします。  最後に、学ぶ楽しさと献身者としての生き方を教えてくださった神学校の先生方に、多くの祈りと励ましをくださった諸教会の皆様に、十二弟子のように学びと訓練と寝食を共にさせていただいた神学生の皆様に、生活を支えてくれたノンクリスチャンの家族に、祈りの内に送り出してくださった清水聖書バプテスト教会の皆様に、主にあって感謝いたします。皆様に主の恵みがともにありますように。愛する主に心から感謝しつつ、すべての栄光をお返しいたします。

Scroll to Top