十字架を見上げて、共に

伝道実習の報告と証し ✤2025年10月13から17日まで伝道実習が行われました。実習の前半は、第51回野の花フェローシップキャンプに参加し、後半は、船橋聖書バプテスト教会で奉仕をさせていただきました。また、京葉地区の諸教会にうかがうこともできました。 十字架を見上げて、共に 渡邊 剛志 (4年課程・4年) 今回は野の花キャンプと船橋BBCにおいて実習の機会が与えられ、主からの多くの学び、取り扱いをいただきました。障がいをもたれた方と共にみことばを伺い、分かち合う時間は大変幸いなときでした。教会でお会いするだけでは見えない、寝食を共にするからこそ分かること、見えてくるものがありました。『魂に仕えるとは』、『共に教会形成するとは』など、伝道者として覚えるべき多くのことがこのキャンプに凝縮されていたように思います。様々なことを教えられましたが、ここでは2つの恵みを証させていただきます。 1・想像力を働かせて目の前の魂に仕える 3日間、脳性麻痺の方と共に過ごす機会が与えられました。その交わりを通して『目の前の魂に想像力を働かせて仕える』ということを主から教えていただきました。脳性麻痺の方々はあらゆる面において介助が必要であり、相手の方が今何に困っているのか、を常に覚えながら関わる必要があります。言葉にならない心の葛藤や必要をこちらが想像力を働かせて捉える。これは障がいの有無に関わらず、あらゆる方との関わりにおいても重要なことであると思います。主の眼差しで他者を見つめ、想像力を働かせて目の前の魂にお仕えする働き人とさせていただきたいです。 2・「共に」教会を建て上げる キャンプ中に開かれた1コリント12:22の御言葉に心刺されました。「弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。」これまでの歩みが走馬灯のようによみがえり、心探られ、悔い改めました。私は目の前の魂にどのような想いで関わり、仕えてきたか。弱く見える部分を尊重し、大切にし、教会を建て上げようとしてきたか、と。集会でのメッセージや交わりを通して、改めて「教会」はこの世の組織と全く異なる、素晴らしい神の共同体であることを覚えました。年齢、立場、状況が異なる方々と全く一つとなって教会を建て上げていくことは人間的なわざ、力では到底できません。キャンプテーマにあったように、ひたすらに十字架の主を見上げ、そこに示される主の愛と赦し、慰め、回復を共に分かち合って進んでいく。主のみを見上げ、共に生き、共に教会を建て上げる者とさせていただきたい、と思わされました。

大学時代の授業よりもよっぽど・・・

オープンキャンパスの証し ✤2025年9月30日から10月10日まで、オープンキャンパスを開催しました。7名が参加し、授業を聴講されました。 大学時代の授業よりもよっぽど・・・ 工藤 望(浅間BBC) 主の御名を賛美いたします。このたび、私にとって3度目のオープンキャンパスへの参加の機会を与えられたこと、また、今回は浅間BBCから初めて2人の姉妹が共に参加できた恵みに感謝いたします。 私は軽井沢に移住してきたころにはまだ信仰を持っていませんでしたが、散歩の途中で神学校を見つけ、近所にこのようなところがあるのだなということは知っていました。その後、別の教会で信仰を持ち、浅間BBCに転籍するよりも前の2023年11月に初めてオープンキャンパスへ参加する機会を与えていただきました。その時は、「あの施設の中がどうなっているのか見てみたい」というような不純な動機であったことを告白いたします。 しかし、いざ参加してみると、大学時代の授業よりもよっぽど興味深く濃い内容で、これまで通ったどの学校よりも近くにこんな素晴らしいお話を聞けるところがあるだなんて、神様は出無精でどこにも出かけない私にこのようなチャンスを与えるためにこの地に導いてくださっていたのだと知り、また、転籍前にも関わらず受け入れてくださった神学校の懐の深さにも感謝いたしました。 その後、無事浅間BBCへの転籍も済み、今年の5月、そして10月のオープンキャンパスへも続けて参加させていただきましたが、5月は自分が手術後1か月であったことと愛猫の具合が悪く介護中であったこと、10月は引き続き愛猫の介護をしていたこともあり、遠くからいらっしゃる兄弟姉妹がしっかりとプランを立てていらっしゃる中、「行けたら行く」というようなかたちでの申し込みとなってしまいました。このような状況なので今回は遠慮したほうがよいだろうと思っておりましたが、それでも大丈夫だと快く受け入れてくださったことに感謝いたします。 今回は「教会史」の授業に参加させていただきました。学校の歴史の授業で習う「宗教改革」という言葉と年号の意味を背景から教えていただき、歴史は嫌いな教科ナンバーワンである私にもよくわかりました。「590年と1517年だけ覚えておけばいいですよ」と言ってくださり、しばらくは覚えていたはずなのですが、今この文章を書こうとしたらその数字すら覚えられていませんでした。しかし、改めていただいた資料を見て、また新鮮な目で「そうだったのか!すごいな!」と感動できるというのは、「忘れることも幸いなり」と教えられているようです。 このように、テストがあったら決して及第点を取れそうにない者ですが、地の利を活かしてオープンキャンパスへ参加させていただけることで、各地から集まって来られる神学校の先生方、神学生の皆様、共に参加される兄弟姉妹との交わりの機会が与えられることは大きな喜びです。皆様と知り合ってから、神学校だよりが届くのがますます楽しみになりました。 「さあ、おいでください。もう用意ができましたから」(ルカ14:17) 神様の招きに感謝するとともに、神学校の素晴らしい講義をもっと多くの兄弟姉妹と分かち合い、共に交わりを持てる日を楽しみにしています。

福音宣教と神学校

校長の机から 福音宣教と神学校 校長 加治佐かじさ 清也せいや 「彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。」(使徒16章10節) 福音宣教と神学校は、切り離すことのできない関係にあります。その宣教について、秋期講座において佐藤先生・井口先生から、多くの大切なことが語られました。講座を通してあらためて教えられたことの一つは、宣教とは主の働きだということです。主が人を遣わし、主が道を開き、御国の完成という主の大きな目的に向かって宣教の働きがなされます。使徒の働きは、そのような主の宣教のわざに満ちています。その中から、使徒16章を読んでいきましょう。 使徒16章はパウロの第二次伝道旅行について記しています。パウロはシラスとともにアンティオキア教会を出発し、「キリキアの狭門」と呼ばれた、狭く険しく危険な山岳路を超えて小アジアに入ります。その動機は愛でした。第一次伝道旅行で生まれた諸教会を励ますためでした(15:36)。多くの迫害があり、パウロも死にかけたことがあった地ですが、それにも関わらず、再び小アジアに向かったのでした。 キリキアを超えたパウロは、リステラで、若く忠実なテモテを一行に加えます。諸教会もパウロの再訪を受けて励まされ、人数も増えて行きました。 パウロはさらに小アジアで働くつもりでしたが、そこに主の御手が介入します。聖霊によって行く手を阻まれたのです。そこで北上し別の場所に進もうとしましたが、それも聖霊によって許されませんでした。そのため西に進路変更しエーゲ海に面したトロアスまで来たところ、「私たちを助けてください」と懇願するマケドニア人の幻を見たのです。これをもって、冒頭のみことばにあるように、パウロはマケドニアに行くことが神のみこころだと確信し、海を渡り、はじめてヨーロッパに足を踏み入れたのでした。 主が道を妨げ、主が道を開かれました。まさに宣教は主が主導権をとってなされる働きだと言えます。私自身もそのようにして上越に導かれました。献身した時、私の心にあったのは「教会のないところに教会を」という開拓伝道の思いでした。そして教会の少ない新潟県を祈りました。中でも県庁所在地の新潟市を考えていましたが、どういう訳か、なかなか道が開かれません。新潟市に視察に行く予定が立たなかったり、先生方や兄弟姉妹との交わりでは、なぜか「新潟ではなく上越がよいのでは」という話になったりするのでした。それでも決めかねていたのですが、一つの資料が私に確信を与えました。開拓地を決める期限が迫っていた年の国内宣教カンファランス(当時は年始に行われていました)から帰ってきた時、分厚い茶封筒が届いていたのです。それは、私が新潟県で働くことを聞いた、とある女性宣教師から送られた資料でした。彼女は以前、新潟の各地で働きをしていたのです。その資料を見て、私は主の御心が上越だと確信しました。というのも、その資料は、新潟の3つの地域(上越、中越、下越)の中で、上越が最も教会が少ないことを示していたのです。こうして私は上越に導かれました。私の思いは新潟市でしたが、主はそれを妨げ、私が確信をもって上越に行くようにしてくださいました。主が宣教の主導権を取ってくださいました。 主は宣教の現場においても主導権を取ってくださいます。海を渡ってマケドニアに入ったパウロはピリピで宣教の働きを進めます。そしてある安息日に、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろし、集まっていた女性たちに語りかけました。その中にいた紫布の商人リディアが、ピリピで最初に救われた人となりました。その時「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた」のです(16:14)。こうしてリディアは福音を受け入れ、家族も信じ、皆がバプテスマを受けたのでした。 聖霊によって導かれた場所には、「助けてください」と願い待っている人たちがいます。その人たちに福音を語る時、主が働いて彼らの心を開いてくださり、理解させてくださり、救いへと導かれるのです。「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません。」(第一コリント12:3)。宣教の働きは主が先導し、道を開いてくださいます。そのことに確信をもって、たゆまず福音を語り伝えていきましょう。「聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。」(ローマ10:14)。 もちろん、何を宣べ伝えるのかが大切です。「私は、彼らが神に対して熱心であることを証しますが、その熱心は知識に基づくものではありません。」(ローマ10:2)。間違った、あるいは不確かな聖書理解に基づく熱心さがあります。健全な理解を伴った熱心さこそ大切です。神学校が確かな理解と熱い心をもって主に仕えていく献身者を育んでいけるように、祈りに覚えていただければ幸いです。

行事予定

行事予定 9月2日・授業開始 9月30日〜10月3日・ オープンキャンパス(第1週目) 10月7日〜10日・オープンキャンパス(第2週目) 10月13日〜17日・伝道実習 11月4日〜5日・秋季講座 11月18日・第1入学考査 12月16日〜1月9日・冬季休暇

編集後記

編集後記 編集者 上田 平安 『神学校だより』の読者のひとりから、編集者のひとりになりました。「編集後記」というものを生まれてはじめて書くにあたり、その目的と意味を調べました。「編集後記」には、本号と次号、刊行物と読者をつなぐという目的があるようです。神学校の使命が次世代へと引き継がれている中で、本号も、読者と神学校をつなぐ一つの媒体となっていきますように!

「JBBC同窓生の声」募集

「JBBC同窓生の声」募集! 編集者 三谷 浩司 「神学校だより」に同窓生の方の証を連載したいと思っております。在学中の思い出、卒業(修了)後の歩み、近況と祈りの課題、在校生や入学を祈っている献身者へのアドバイスなど、自由な内容で寄稿してください。常時受付いたしますが、担当者から直接依頼させていただく場合もございます。 字数は1200字以内、写真も添えていただけると大変感謝です。Eメールの場合は三谷宛のメアド(godislove1122mitani@gmail.com)にお願いします。郵送の場合は神学校宛にて「神学校だより原稿在中」と明記してください。多くの方の寄稿を期待いたします。よろしくお願いいたします。

参加できたことを感謝し

オープンキャンパスの証し 与えられた経験を感謝します 池田 裕樹 (船橋BBC) 主の尊い御名を賛美いたします。今回のオープンキャンパスに参加が許されたことを神様に感謝します。 2024年末に家庭の事情により、約35年間働いた職場を退職しました。その折りに、神様は一般社会では得難い素晴らしい体験をさせていただきました。 知識面では、組織神学、論述入門、伝道学、聖書地理、英書読書、ギリシャ語等々。様々な受講が許されました。実生活では、早天祈祷会、チャペル、合唱、お食事、お風呂まで先生方や神学生、他教会の参加者と寮生活を短期間ですが共に過ごして楽しい交わりの時でした。 教えられた聖書の言葉は、私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。神は言われます。「恵の時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」(2コリント人への手紙6:1~2) 昨今のニュースの世界情勢は、戦争、紛争、地震、災害等目まぐるしく変化していますが、神様からの生命(いのち)を与えられている大切さを考えさせられました。 神様の恵みを無駄に受けないようにとみことばの通り、一コマ単位の授業、休憩時間のカフェ、雑談までも新鮮な気持ちで恵みを感じました。 今までの信仰生活を振り返りつつ、最初の原点に戻りたいと意識した授業の中では、テーマは「教会を正しく理解している聖徒」を次の3つに分けた内容が、①自分がキリストのからだの一部だと分かっている聖徒②通っている教会が自分の教会だと思えている聖徒③教会の集まりには全て参加したいと願って行動する聖徒でした。 イエス様を信じて、バプテスマを受けて、教会のメンバーシップになった聖徒を神様はどのように歩んでほしいのかと再確認の時であり、現在、通っている教会が自分の教会であり、自分の教会を愛し、大切にする。一つ一つの集まりにもできる限り参加して、キリストのからだの一部としての役割を認識するという内容でした。 今回の体験を与えてくださった神様に感謝すると共に、多くの時間を提供いただいた神学校の先生や事務局、派遣してくださったJBBF諸教会、神学校の運営の為に仕えてくださった神学生の兄弟姉妹の為に、引き続きお祈りをささげていきたいと思いました。 ありがとうございました。

私に必要なメッセージ

伝道実習の報告と証し 5月20日〜25日、若葉BBCにて 私に必要なメッセージだった 2年 安藤 のゆり 主のゆるしの中で、伝道実習をさせていただけたことに感謝します。 1年前に同じ若葉教会で実習をさせていただきました。入学して間もない私は、体力・行動力・霊性等、他者と比較し自分が劣っているように感じていました。自分を自分で低く評価してきた背景に向き合わされ、実習後も主に取り扱っていただきました。 今回は実習直前のご奉仕が立て込み、願うような十分な備えができない中で始まった実習でした。しかし、前回の熊谷BBCでの伝道実習で教えていただいた、「自分の願うようにならなくても、主の御旨が成ることを喜ぶ」ことを祈り求め、不思議な平安を覚えていました。また、神学校での1年間の学びと訓練を通して、神ご自身を知る幸いや、主は私のすべてを知っておられる上で愛し赦して下さった一方的な恵みを教えていただいてきました。同じ主がこの実習を通して私を練りきよめてくださることを思うと励ましをいただきました。 様々なご奉仕が与えられていましたが、特に日曜学校の中高生クラスでのメッセージを通して、主は私を養ってくださいました。教会学校教案誌「成長」のカリキュラムに沿い、マタイ25:14〜30の「タラントのたとえ話」から語らせていただくことになりました。祈り、思い巡らし、学びながら取り組むのですが、何をどのように語ればよいか悩まされ、明らかに苦戦していました。ご奉仕、交わり、神学校での学びと説教準備は切り離せず、主は全体を通して私を教え導いて下さっていることを知っていきました。何よりも私にこのメッセージが必要であることが示され、驚きと感動を覚えました。そして3つのことを教えていただきました。 一つ目は、しもべをよく知る主人がタラントを委ねてくださったということです。主人が預けたものは主人のものであり、主人の財産でした。側で生活し、しもべの良さも弱さも知っている主人が自分の財産を預け、しかもその使い道を指定せず委ねて下さったことは私にとって不思議でした。 二つ目は、それぞれの能力に応じて預けてくださったということです。私自身、「他者と同じか、または他者より多い」方が良いと無意識に考えてしまっていたことを示されました。自分の能力より多い場合、それを負い切れず、むしろ重荷になってしまうことに気付かされました。全知の主が与えてくださっているものであるため、最善と認めることが必要と教えられました。 三つ目は、主は忠実さを見られるということです。主人は預けたものの量がどのくらいか、増やした量はどのくらいかを評価の基準にはされませんでした。神を愛し、忠実にタラントを使うことが主の求めておられることでした。また、主人の喜びを私の喜びとしてともに喜べることが真の幸いであることを知りました。 他者と同じように主に仕えるのではなく、主が私に委ねて下さった分を感謝し、主の前に忠実に仕え続ける歩みを求め続けていきます。

多くの恵を感謝

伝道実習の報告と証し 5月20日〜25日、若葉BBCにて 多くの恵を感謝 3年 三浦 基宣もとのぶ 「ふたりはひとりにまさる。」(伝道者4:9)、「全地よ、主に向かって喜ばしき声をあげよ。」(詩編100:1)の二つの御言葉の下で「一緒に喜んで主に仕えよう」というテーマで伝道実習を受け入れて下さった事を感謝します。 また、ちょうど一年前の時は金曜日までだった事もあって「役割を果たす」事のみを気にして「一体感」のようなものは気にしなかったように思います。今回テーマ通りの経験もさせていただいた事を感謝します。 前回はスミス師とエイミー師による学びがメインでした。しかし今回は、インターンのような形式でした。そのメインイベントは日曜日午後のイースター子ども会で、そのための準備に多くの時間を割いた伝道実習となりました。 ただ私の場合、一番思い出されるのは水曜日の祈祷会でメッセージを私が取り次いだ事でした。祈祷会メッセージだからと「祈り」をテーマとしてルカ11:1-13からとしました。私の祈りに応えて原稿作成を導いた神様に感謝!そして私の母教会、奉仕教会である高槻聖書バプテスト教会のキング師と神学校校長の加治佐先生に私の原稿草案についての貴重なアドバイスをいただいた事に感謝です。そしてリハーサルの場を設けてくださり、その後に「自分の気持ちを落ちつかせるために、区切りとなる部分では2、3秒、間をおいた方がよい。」との助言を下さったスミス師に感謝です。私のメッセージが神様と若葉教会との関係をさらに近づけるものになっていれば、説教者として望外の喜びです。 イースター子ども会のようなイベントは私には苦手だなぁと思わされました。当日パワーポイント操作の係を受け持ちました。当日では歌の時に、前奏の半分終わった位でタイトルのみから歌詞へ切り替えようと思っていたらピアノ担当者が歌詞が表示されるまで黙って待つという、打ち合せ不足から来る失敗がありましたが、他は特に問題無かったと思います。私自身、今まであまり子どもの担当をしてこなかったために子どもの事がよく分かっていない部分あるなぁと思ってしまいました。この辺りは普段から子ども向け伝道に力を入れている兄姉の活躍により大盛り上がりだったので、適材適所と言えそうではありました。 その他ではスミス師が火曜夜の神学生祈祷会で「知恵」を求めるべきとメッセージをして下さった事が各会をより良いものにする為のアドバイスとなったと思います。また大人向けの日曜学校でもタラントのたとえのお話をして下さり、神のためにという思いを新たにしました。そして礼拝での渡邊兄の説教から「仕える」事に思いを馳せる時となりました。始めは長く感じても終わってみれば短かった一週間、ありがとうございました。